2024年6月8日土曜日

能登地震ボランティア活動報告2

 6月3日月曜日午前6時31分ごろ能登地方を震源とする震度5強の地震がありました。まだ金沢のホテルを出発する前で、携帯緊急地震速報が鳴り緊張しましたが金沢は震度3で大事には至りませんでした。1日に訪ねた珠洲市や輪島市は震度5強だったので心配になりました。大人も子ども元日におきた地震をまた思い出し怖かっただろうなと思いました。手付かずの倒壊した建物がたくさんあるので2次被害が起きているだろうと想像しました。輪島朝一周辺の道路は誰でも車で入ることができたので、焼け残った建物が倒壊する危険がありました。これから向かう七尾市までの道路のと里山海道も通行止めになっていないか予定通りに行けるか心配になりました。

金沢のホテルを7時に出発して七尾市に向かいました。のと里山海道も被害はなく1時間ほどで七尾市に到着しました。それにしても道は空いていて県外ナンバーの車はほとんど見ません。トラックも少なく自分達だけが被災地に向かっているのが不思議でなりませんでした。






七尾市に入ると珠洲市や輪島市ほどではありませんが、所々倒壊している建物はありました。やはりこちらも手付かずのままです。七尾市でも水道が断水していましたが、4月4日に復旧しました。道の駅七尾フィッシャーマンズワーフ能登食祭市場は立ち入り禁止で休業していましたが、休日になると建物の前でテントの仮設販売所がオープンしているようでした。隣の七尾マリンパークの駐車場は使えて、トイレも使用可能だったので一休みしてからこども園に向かいました。









七尾市のこども園でワークショップを開催しました。朝の地震でお休みした子どももいましたが、3つのこども園の年長児60人が集まり合同で遊ぶことができました。1月の地震を思い出して不安でしたが、たくさんの笑顔を見ることができました。午後は保育士対象のワークショップと学童保育の子どもたち1~2年生と工作をして遊びました。

2024年6月7日金曜日

能登地震ボランティア活動報告1

5月31日から金沢に来ています。6月1日朝5時にホテルを出発して珠洲市と輪島市に行って来ました。金沢に戻ったのが午後6時過ぎで350キロほど走りました。のと里山海道は1車線しか使えず穴水方向まで一方通行でした。まだ崩壊現場は復旧中です。地震後はこの高速道路が全く使えず海岸線の国道しかなく大渋滞していました。


珠洲市に入ると倒壊した建物が目に入りました。TVニュースでも見た崩壊した見附島に立ち寄ってから、珠洲市民図書館子どもセンターすずキッズランドに向かいました。倒壊した家屋は見附島付近の住宅です。道路の真ん中に突き出ている柱のようなものはマンホールです。




地震後すずキッズランドは建物被害が少なかったので避難所として使われていました。現在水道は復旧しましたが下水道が使えないのでトイレは使えません。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は仮設住宅から通っています。避難者も他所に移ったので本来の子どもが遊べる施設として使われています。

ここで小学生と工作をして遊びました。







すずキッズランドの前には病院があり入院患者もいるそうです。反対側には道の駅があり営業しています。トイレも使えるので、トラックドライバーが洗面所としても使っていました。道の駅には能登鉄道が輪島や珠洲市まで走っていた時の駅舎がそのまま残っています。田植えも始まっていました。農家の家も倒壊しているので、仮設住宅から通っていると思われます。





珠洲市の蛸島漁港まで様子を見て来ました。蛸島漁港では漁が再開されていますが、家屋は倒壊しているので避難所で生活しています。NHKニュースで蛸島漁港で水揚げされた魚を運ぶ会社の社長が出ていました。社長は蛸島に残り仕事を続けていますが、家族は金沢市に避難し小学生の長男だけは友達のいる学校から離れたくないので蛸島の祖父母の家から小学校に通っているそうです。










輪島市の朝市通りの現状です。ここだけではなく、どこも道路にはみ出た倒壊家屋を端に避けただけで地震後から変わっていません。

どこも静かです。メイン道路の補修工事はしていましたが、倒壊家屋は手付かずで重機での作業も人の手も入っていません。トラックも県外ナンバーのボランティア活動の車も少なすぎます。5ヶ月経ってもこの状況というのが信じられません。阪神淡路の震災、東日本大地震の時でも復興活動が見えて行くたびに街の様子が変わっていました。ここは異常です。人手も足りないので仮設住宅の建設を最優先にしているからかも知れません?




輪島市ふれあい健康センターの2階にある子育て支援センターで、30分だけでしたが子どもたちと遊ぶ事ができました。ここも避難所になっていましたが、1日から支援センターとして子どもたちが遊べる場所に戻りました。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は自宅または避難所から通えるようになったそうです。3階はまだ避難所になっていて、被災者が生活しています。まだ仮設住宅が足りていません。


1日は金沢百万石まつりの行列で金沢市は41万人が盛り上がっていたようです。北國新聞の一面には祭りの記事と一緒に輪島朝市通りの写真が掲載されていました。経済活動も大切なのはわかりますが、県外の人が祭りのニュースを見たら益々能登地震の被災者のことは忘れてしまうだろうなと思いました。


*掲載している写真(顔の部分)は加工して使っています。

2024年5月20日月曜日

2024年後期ワークショップのお知らせ

2024年後期ワークショップのお知らせです。

9月1日(日)関西保育セミナーが姫路で開催されます。






大分県中津市でのワークショップの内容については、後日お知らせします。

10月10日(木)大分県中津市大幡コミュニティーセンターで開催されます。

10月18日(金)大分県中津市小楠コミュニティーセンターで開催されます。



2024年5月18日土曜日

絵本あそびワークショップ

  4月に石垣島のにしのもり保育園で、2回にわたり保育士を対象としたワークショップ「木内かつの絵本あそび」を開催しました。

 子どもたちが帰った後に保育園で用意した軽食を取ってから始めました。軽食はオニササでした。オニササとは何だかわかりますか?

 二つのおにぎりに鶏のささみフライを挟んでから、おにぎりを潰してライスサンドイッチにしてから食べるご当地グルメです。おにぎりとフライはポリ袋の中に入れて、手は汚れないよう袋の外側から手のひらでおにぎりを潰します。八重山農林高等学校の隣にあるスーパー知念商会で販売しているおにぎりと鶏のささみフライを買った高校生が、お昼ご飯ようにアレンジしたものです。あるTV番組で紹介されてからは、観光客が買いにくるようになりました。二つのおにぎりとおかずのフライが一緒に食べることができるボリューミーな食べ物です。おにぎりとささみのカツが一体化したので、オニササという名で呼ばれるようになったようです。娘も高校生の時に知念商会にはお世話になりよくオニササを食べていたようです。高校生の間ではオニササのオリジナルアレンジが他にもあるそうです。

 




4月23日のワークショップ





 

 沖縄県立八重山特別支援学校の生徒たちと絵本あそび「やさいのせなか」のワークショップをしました。まず最初にブラックボックスに野菜やサンゴや貝殻などを入れて、手触りで何かを当てる遊びをしました。普段は視覚だけでものを判断することが多く触覚を使うことが少ないので、手触りだけで何を触っているのか当てることは難しく感じます。五感を働かせて感じることで、野菜にもいろいろな表情があることを知ることができます。ゲームをしてからフロータージュを始めました。触覚で野菜の表面に障子紙を被せクレヨンでこすると、野菜の表面の凹凸が浮かび上がります。

この時使うクレヨンは、巻いてある紙を全て剥がし取っておきます。クレヨンで紙を擦る時は、クレヨンの先ではなく側面全体で擦ります。模様をきれいに写し取るには、クレヨンで線を描くのではなく面で擦ります。最初は難しく感じますが、だんだん慣れて力の入れ具合などコツが分かってきます。模様が浮かび上がることを理解すると、いろいろものを擦ってみたくなります。生徒たちは障子紙とクレヨンを持って、教室の中を歩き回り模様を探しました。そして、物入れのケース、壁紙、扇風機、靴のそこ、網戸などあらゆる物に紙を当て模様を集めました。それらを模造紙に貼り少し離れたところから眺めると、魚に見える模様や幾何学的な模様などパッチワークの様なタペストリーになりました。クレヨンで擦り模様を集める遊びは、年齢に関係なく誰もが楽しめます。









2024年3月17日日曜日

デザイン誌「アイデア」3月発売号

 「やさいのおなか」が紹介されている雑誌のお知らせです。




誠文堂新光社のデザイン誌「アイデア」3月発売号の特集企画として、 建築物などの断面図や俯瞰図のイラストレーションを紹介する特集企画のなかの小特集「絵本は見えないものをどのように表現するか」文・佐々木美砂




デザイン誌「アイデア」は建築やデザインの世界だけに留まらず、絵本の表現方法まで広げて紹介しています。絵本の世界をこのような視点で考察すると、絵本の見方が新鮮に感じ新しい発見があると思います。絵本は構成がとても大事な要素になりますが、佐々木美沙さんは野菜の断面図がどのように構成して表現されているのかを分析しています。

特集されている一人に妹尾河童さんの作品があります。ぼくがまだ学生だった頃に出会った「河童が覗いたヨーロッパ」はとても刺激的な本でした。懐かしかったです。

https://www.idea-mag.com/idea_magazine/idea_no-405/

2024年1月9日火曜日

令和6年仕事始め



 2024年が恐ろしく悲しすぎるスタートになりました。

能登半島地震で亡くなられた皆さまに心よりご冥福をお祈りいたします。まだ安否がわからない人がたくさんいます。一人でも多くの命が助かることを祈るばかりです。阪神淡路大震災と東日本大震災の時にボランティア活動をしたことを思い出しています。いつどこで何ができるか、ニュースを見ながら考えています。