2026年10月21日水曜日

和久洋三さんとのお別れ


  童具館創業者であり童具を産み育てた和久洋三氏が今年2月に逝去されました。8月29日和久洋三を語る会が小田原で開催されお別れをしてきました。和久さんとは1985年(昭和60年)頃よりお会いするようになりました。ぼくが絵本を描き始めてからまだ2~3年後二十歳代後半になります。でも和久さんのことは学生の頃より存じ上げていました。なぜならば、和久さんは高校の先輩だったので学校の先生から話を伺っていました。でもその頃はお会いする機会はありませんでした。よくお会いするようになったのは、仕事場が五反田にあった頃で、蒲田に童具館が建設される数年前からです。そのきっかけは、和久さんがおもちゃの科学研究会を立ち上げたからでした。

(写真上は1985年12月刊「おもちゃの科学」2号)


 1985年(昭和60年)におもちゃの科学研究会が発足し、小峰書店より雑誌(機関誌)「おもちゃの科学」が発行されました。 しかし、翌年この雑誌(機関誌)は4号で廃刊となり会も閉会しました。

それでも会員の熱意により翌年には会は再スタートし、定例会や保育講座が開催されていました。



(写真上は1989年/平成元年Summer「童具の広場 第1号」)


(写真上は1990年/平成2年「童具の広場 第5号」)

 そして、1989年(平成元年)雑誌(機関誌)「童具の広場」夏号が刊行されました。この雑誌にぼくは第1号より記事を書いています。この頃より童具館によく通うようになりました。おもちゃの科学研究会には教育者からデザイナー、玩具研究者など幅広くいろいろな分野の会員が集まっていました。この会で出会った事がきっかけで、ぼくの仕事の幅も広がりました。それらは、フジテレビのひらけポンキッキや大妻女子大学での講師の仕事などです。和久さんとの出会いがなければ新たな出会いもありませんでした。和久さんの魅力が多くの人を惹きつけて、新しい出会いや物が生まれたのだと思います。






 10年続いたおもちゃの科学研究会が閉会してからは、童具館に立ち寄ることは少なくなりましたが、和久さんや会員とは時々会っていました。最後に和久さんとお会いしたのは2024年10月童具館に訪問した時でした。体調は弱っていましたが、話をしているうちにだんだんと調子が出てきて、元気な和久節を聞くことができました。そして、翌年ぼくの最新作絵本「つくってあそぼう つりぼり」を献本してそのお礼の手紙が届きました。毎回和久さんの手紙には、手書きのイラストと一緒にコメントが書かれていて励まされていました。これらの手紙はぼくの宝物です。和久さん、ありがとうございました。ゆっくりとお休みください。とは言っても、世界中の子どもたちの事が気になって、怒り心頭に発する和久節が聞こえてきます。


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