2024年10月26日土曜日

中津市家庭教育学級WS

  10月10日と18日に中津市の家庭教育学級でワークショップが開催され絵本の読み語りと絵本あそびをしました。参加者は0歳児から4歳児までの親子さんと読み聞かせボランティアさんでした。


 読んだ絵本はペーパーバック版の「やさいのおなか」で、これは1984年9月から1990年まで販売されていたいました。今本屋さんに並んでいるハードカバーの「やさいのおなか」は1997年1月に再販された絵本です。最初に出版されたペーパーバック版とハードカバーのものは、ページ数も構成も違います。ペーパーバック版にはハードカバー版に入っていない野菜も描かれています。

 他に読んだ作品は、「こどものとも0...とっくん」「たまごのあかちゃん」「0...ここよ ここよ」「おばけがぞろぞろ」「あおくんときいろちゃん」「ころころころ」などです。



 持って行ったけど読めなかった絵本は、「0...ごぶごぶ ごぼごぼ」「がたんごとん がたんごとん ざぶんざぶん」「くろねこかあさん」「ごろごろごろ」「11ぴきのねことあほうどり」「ちいさなもみのき」です。




 絵本あそびは「へびのたまご」牛乳パックでつくるたまごのあかちゃん、「ペッタンおばけつつり」ポリ袋と折り紙でつくるおばけ、「牛乳パックツリー」牛乳パックの代わりにトイレットペーパーまたはペーパータオルの芯と折り紙でつくるクリスマスツリー、「小麦粉粘土で色遊び」赤青黄色の小麦粉粘土を触って色混ぜ遊び、「ひっくりかえるとなきがえる」牛乳パックのカエルなどをつくって遊びました。










 0歳児は音に興味を示します。同じ言葉の繰り返しや擬音オノマトペなどを読んでいると、赤ちゃんは何かを見つけたかのように絵本に注目します。泣いていた子も泣きやんで絵本を読むぼくのそばに近づいてきました。赤ちゃんには何が見えて聞こえているのか?ぼくも毎回不思議な体験ができます。同じ絵本でもことばの強弱やリズムを変えて読むだけで絵本は新しくなり見え方が変わります。子どもにとっては、読み手が変わる事で毎回新しい発見があり新鮮なのです。




 2歳児とは会話ができるので絵本の読み語りをしていると、ぼくにも新しい発見があり関心します。今回も「やさいのおなか」の読み語りをしていて、子どもの答えが素晴らしかったです。ぼくがこの絵本の読み語りをするときは、答えが野菜の名前ではなく模様から見える形を想像してもらうように語りかけます。例えば黒いニンジンの断面図の答えが、ウニとかオバケかなと語ります。でもこの日の2歳児の答えは「花火」でした。この子は夏に打ち上げ花火を見て印象に残っていたのかも知れません?また4歳児からハッとする答えが返ってきました。答えは「ウィルス」でした。新型コロナウィルス感染症が蔓延していた時に、毎日テレビニュースに写っていたのが新型コロナウィルスの電子顕微鏡写真でした。大人には目には見えないウィルスの形と一緒に恐怖心を植え付けられてしまいました。確かにニンジンの断面図はウィルスにも見えます。子どもたちはウィルスが何かも知らず見ていたのです。大人のようにウィルスの怖さを知っていると、その形から恐怖心も一緒に記憶に残りますが、子どもたちにはどんなものとして印象に残っているのか?子どもからのウィルスという答えを否定することはせず、ぼくにもウィルスに見えると関心しました。子どもたちに絵本の読み語りをしていると、大人にはわからない事や見過ごしている事を気づかせてくれます。今回も楽しいワークショップでした。











2024年9月20日金曜日

9月14日善通寺市立図書館

9月14日善通寺市立図書館・子どもライブラリー主催のワークショップが終了しました。子どもも大人も一日工作に夢中になって楽しい時間を過ごす事ができました。




 午前中は紙のお弁当作り、最初に引き出し弁当箱を作ってから、おにぎりを作りました。おかずはエビフライ、唐揚げ、餃子、ミニトマト、だし巻き卵などやデザートはガリガリくんやりんごなどなど美味しそうなおかずが弁当箱に並びました。





午後は牛乳パック工作をしました。最初に全員でケン玉を作ってから、二つ目は迷路か4WDの車のどちらかを選んで作りました。予定していた1時間30分の工作時間では物足りなく大幅に時間を延長して、5時過ぎまで工作を楽しみました。低学年の子どもが多くいましたが、飽きる事なく3時間以上工作に夢中でした。付き添いの保護者さんも夢中になっている子どもたちを見守りながら一緒に工作を楽しんでいました。皆さん満足して帰る事ができたと思います。ぼくも楽しい時間を皆さんと共有できて嬉しかったです。







2024年9月6日金曜日

能登地震ボランティア活動報告6


 

 20日は輪島市のかわい保育園で「かえるや」の絵本あそびをしました。絵本「かえるや」を読む時は、牛乳パックで作ったハリセンを叩いて露天商の啖呵売のようにテンポよく読みました。そして牛乳パックで作ったカエルを見せてから、「ひっくりかえる」をみんなで作り遊びました。





 午後からは輪島市ふれあい健康センターの2階にある子育て支援センターに伺いました。前回は閉まる間際に到着したので少ししか遊ぶ時間がありませんでしたが、今回は小学生の女の子たちとたっぷり工作をして遊ぶことができました。牛乳パックの迷路を作りながら夏休みの宿題のことなどの話しを聞いていると、ぽつんぽつんと震災で苦労したことを話し始めました。知らないおじいさんとの会話だから安心したのかも知れません。大人だけではなく子どもたちも傷つき苦労して大変な経験を強いられてたんだと思いました。ぼくは子どもたちから本音が聞けて嬉しかったし、子どもたちも少しは気が晴れたかも知れません。そして何よりなことは、子どもたちの笑顔を見れたことです。







 輪島からの帰り道に七尾市の保育園に立寄り前回のワークショップに参加した先生方と再会しました。園ではぼくのワークショップを受けた先生方からアンケート(感想文)をとっていて、それらを読ませていただきました。それらはぼくの「絵本あそび」についての考えに共感した内容で嬉しかったです。震災されたから特別なワークショップをしたわけではありません。日常に戻るにはまだまだ時間がかかると思います。それでも普段からしていることをすることで、少しずつ日常の生活に戻っていくことができると思います。

 1995年(平成6年) の阪神・淡路大震災が起きて長田の避難所を訪れた時に、保育園の先生から最初に聞かれた質問が忘れられません。「保育児のなかに工作が好きな子がいて、セロハンテープを一人でたくさん使ってしまうのだけどどうしたらいいか?」でした。

被災したから特別なことを聞きたいわけではなく、普段から疑問に思っていること、わからないことは被災者になったことで何か変わるわけではありません。いつもの生活に戻れるように、いつもしてきたことをできるようにする。それが一番大事なんだと思いました。

 前回七尾市の保育園でワークショップをした朝に能登地方を震源とする震度5強の地震が発生しました。ぼくもまだ金沢のホテルを出発する前でビビリました。

保育園に着くといつもと変わらない様子の園児たちが元気な笑顔で迎えてくれました。でも余震を心配して欠席した園児もいました。

その日園児たちが帰る時の様子を、園長先生が話してくれました。「いつもなら余震があると、子どもたちは怖かったと話しながら帰るのに、あの日は今日は楽しかったねと話しながら嬉しそうに帰ったんですよ。」

来て良かったと思いました。ぼくも子どもたちに救われています。感謝です。


能登地震ボランティア活動報告5

 



 珠洲市にあるつばき保育園の年長さんと絵本あそびをしました。絵本「おなら」長新太・さくと「おしりじまん」齋藤槙・さくを読んでから見えるおならとおなら笛を作りました。カラフルなおならがたくさんできました。おなら笛は最初はなかなか音が出ませんでしたが、みんな諦めずコツをつかんで全員ブーブーいいおならを出すことができておならの大合唱になりました。









 午後はキッズパークに行きました。お盆休みで前回遊んだ子どもたちは、家族旅行中で会うことはできませんでした。でも嬉しい話しを所長さんから聞くことができました。8月8日に発生した地震で南海トラフ地震臨時情報が出た時、大人よりも最初に女の子が別府に住んでいるぼくのことを思い出して心配してくれたそうです。元気そうに見える子どもたちも巨大地震を体験して心が傷ついています。どれほど怖かったかトラウマになっているかも知れません。それでも人の心配をすることができるんだから凄いです。残念ながら今回は遊べなかったけど、準備してきた牛乳パックでおもちゃ(コマ・けん玉・迷路)を作りみんなで遊んでもらうように置いてきました。



 この日は七尾市のルートインに宿泊しました。ホテルは作業者の宿泊施設になっていて空きがありませんが、運良く空きが出て泊まれました。作業者に合わせて朝食は5時からで食堂にはガテン系の人ばかりでした。駐車場の車のナンバーも他県のものがほとんどでした。金沢から往復するよりは、七尾からだと半分の距離で珠洲市と輪島市に行けるので助かります。

能登地震ボランティア活動報告4

 



 8月19日は珠洲市、20日は輪島市の保育園と児童館でワークショップを開催しました。朝5時に金沢を出発して珠洲市に向かいました。2ヶ月前とは違いのと里山海道は両側通行になり作業車輌も沢山走っていました。道は開通しましたが、ところどころアップダウンがありまるでジェットコースターに乗っているかのようでした。照明も無いので夜走るのは危険だと思いました。案の定反対車線に車道から落っこちた軽自動車を見かけました。作業車輌も早朝に出発して暗くなる前に作業を終えて帰っているようで、帰りも途中渋滞しました。












 珠洲市も輪島市もまだ手付かずの倒壊家屋が沢山ありましたが、仮設住宅は増えていました。輪島朝一通りも解体工事が始まっていて更地が広がっていました。再開したお店もあり、輪島でも新鮮な寿司を食べることができました。





 千枚田まで車で行くことができました。一部田植えがされていて、お米が実っていました。売店は休業中でしたが、おばあさんが一人でお店を出していたので、お婆さん手作りの草鞋鈴をお土産に買いました。元の生活に戻るにはまだまだ時間がかかりそうです。