4日火曜日は七尾市のこども園にいく前に和倉温泉の町の様子を見て来ました。加賀屋を含め全ての旅館が休業中でした。再営業するには建て直しだそうです。
今は能登島にかかる橋も渡れますが、地震後橋が渡れず能登島から出ることはできませんでした。
午前中は七尾市のこども園で年中児40名と遊びました。午後は別のこども園で保育士を対象にしたワークショップと学童保育と年長児合流のワークショップを開催しました。たくさんの笑顔が見ることができて良かったです。園長先生も久しぶりの笑顔でした。
たった3日間の絵本あそびワークショップでしたが、子どもたちは元気いっぱい遊び笑顔でした。ぼくも子どもたちからたくさんの元気をもらいました。先生達も明るく楽しい時間を共有できました。本当に来て良かったと思いました。
元日から変わらない景色を毎日見ていたら、自分達は忘れ去られているかのような寂しい気持ちになってしまいます。明るい未来や希望が持てません。
こちらの新聞やTVニュースでは、毎日震災特集記事や現状の様子を伝えています。でも今県外にはほとんど被災地のニュースが流れないので、被災地の現状を目にすることがありません。最初に渋滞するから来るなと言ってしまったので、その後関心もなくなり忘れ去られています。既にのと里山海道は一方通行ですが使えるので、金沢市内から珠洲市まで2時間半で行けます。それなのに県外ナンバーの車はほとんど見ることはなく、トラックもそれほど多くなくガラガラです。最初は片道4~5時間はかかるかも知れないと思って早めに出発しましたが、行きも帰りも道は空いていました。
5日から輪島朝市通りで公費での解体工事が始まりました。どれほどの重機と人が集まって作業するのか?珠洲市でも倒壊家屋はたくさんあります。何故ボランティアが少ないのか?何故マスコミはもっと報道しないのか?何故政治家は動かないのか?何もかも遅くて、不思議でなりません。
輪島市で入浴施設の運営をしていた自衛隊は4月2日に撤退しました。その後を引き継いだのがNPO法人Vネットです。下記のサイトにアクセスすると輪島市での活動の様子がわかります。ボランティアも募集しているので、興味ある人はサイトを見てください。
仮設住宅は増えてきましたが、まだ避難所はあります。
5月20日に輪島市の仮設住宅で70代の女性が亡くなりました。死因はわかりませんが、「状況から見て孤独死と判断せざるを得ない」と市災害対策本部の話です。静かすぎる被災地、1月1日から時間が止まったような変わらない街の様子、今までに行った被災地とはまるで違います。何ができるかわからない人も、自分の目でこの状況を見てほしい。そして自分ができることを探しましょう。道は空いています。車なら金沢から2時間半で珠洲市まで行けます。
金沢で活躍するフォトグラファーの中乃波木さんから雑誌「能登」の最新号をいただきました。中乃波木さんとの出会いは、2019年5月号かがくのとも「なにがみえるかな?」写真絵本の撮影と能登でのコーディネートをしていただいたのがきっかけです。この絵本はのと鉄道さんに全面協力していただき、写真はのと鉄道の車内から撮影した能登の景色です。モデルになってもらった子どもも中さんのお友達の家族で金沢在住です。ぼくが前回金沢に来たのがこの絵本の撮影があった2017年なので、今回が7年ぶりの再会になりました。
雑誌「能登」の最新号は能登地震の特集です。少しでも能登地震の情報を得たいと思っている人はこの雑誌を読むと良いです。この雑誌にぼくがどうしても紹介したい記事があるので、一部を抜粋します。
地産地消文化情報誌 能登 May2024春 Vol.55 定価880円
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能登で生きるという事 番外編 武藤一樹「神音」&「武藤焙煎工房」主人
何を試されているのか
震災はきっかけに過ぎない。
誰もが気づいていた。知っていた。しかし目をつむり続けてきた『能登の再生(自律自走のコミュニティ形成、世代の代謝)、経済活動の誕生の不達成』を浮き彫りにし、国や政治が「お待ちください」「ボランティアがたりません」いや「現場の福祉行政は機能しているんです」と言いながら、その実は「ほらね、やっぱり無理でしょう?仕方ないよね、許してね」と同情を誘っているのでは?と疑いたくなるのんびりした対応で、「万博は開催します」と重機や人やお金をまわすそぶりすら無く。・・・・・
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今回ぼくが能登地震の被災地でボランティア活動ができたのは、金沢の北新越こどものとも社代表の高山さんのおかげです。事前に段取りをして、3日間朝早くから無駄なく車で回っていただきました。一人ではなかなか効率よく動けません。今回出会えたたくさんの子どもたちや保育者、そして皆さんとの縁を大切にしたいです。
ありがとうございました。
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