5月31日から金沢に来ています。6月1日朝5時にホテルを出発して珠洲市と輪島市に行って来ました。金沢に戻ったのが午後6時過ぎで350キロほど走りました。のと里山海道は1車線しか使えず穴水方向まで一方通行でした。まだ崩壊現場は復旧中です。地震後はこの高速道路が全く使えず海岸線の国道しかなく大渋滞していました。
珠洲市に入ると倒壊した建物が目に入りました。TVニュースでも見た崩壊した見附島に立ち寄ってから、珠洲市民図書館子どもセンターすずキッズランドに向かいました。倒壊した家屋は見附島付近の住宅です。道路の真ん中に突き出ている柱のようなものはマンホールです。
地震後すずキッズランドは建物被害が少なかったので避難所として使われていました。現在水道は復旧しましたが下水道が使えないのでトイレは使えません。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は仮設住宅から通っています。避難者も他所に移ったので本来の子どもが遊べる施設として使われています。
ここで小学生と工作をして遊びました。
すずキッズランドの前には病院があり入院患者もいるそうです。反対側には道の駅があり営業しています。トイレも使えるので、トラックドライバーが洗面所としても使っていました。道の駅には能登鉄道が輪島や珠洲市まで走っていた時の駅舎がそのまま残っています。田植えも始まっていました。農家の家も倒壊しているので、仮設住宅から通っていると思われます。
珠洲市の蛸島漁港まで様子を見て来ました。蛸島漁港では漁が再開されていますが、家屋は倒壊しているので避難所で生活しています。NHKニュースで蛸島漁港で水揚げされた魚を運ぶ会社の社長が出ていました。社長は蛸島に残り仕事を続けていますが、家族は金沢市に避難し小学生の長男だけは友達のいる学校から離れたくないので蛸島の祖父母の家から小学校に通っているそうです。
輪島市の朝市通りの現状です。ここだけではなく、どこも道路にはみ出た倒壊家屋を端に避けただけで地震後から変わっていません。
どこも静かです。メイン道路の補修工事はしていましたが、倒壊家屋は手付かずで重機での作業も人の手も入っていません。トラックも県外ナンバーのボランティア活動の車も少なすぎます。5ヶ月経ってもこの状況というのが信じられません。阪神淡路の震災、東日本大地震の時でも復興活動が見えて行くたびに街の様子が変わっていました。ここは異常です。人手も足りないので仮設住宅の建設を最優先にしているからかも知れません?
輪島市ふれあい健康センターの2階にある子育て支援センターで、30分だけでしたが子どもたちと遊ぶ事ができました。ここも避難所になっていましたが、1日から支援センターとして子どもたちが遊べる場所に戻りました。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は自宅または避難所から通えるようになったそうです。3階はまだ避難所になっていて、被災者が生活しています。まだ仮設住宅が足りていません。
1日は金沢百万石まつりの行列で金沢市は41万人が盛り上がっていたようです。北國新聞の一面には祭りの記事と一緒に輪島朝市通りの写真が掲載されていました。経済活動も大切なのはわかりますが、県外の人が祭りのニュースを見たら益々能登地震の被災者のことは忘れてしまうだろうなと思いました。
*掲載している写真(顔の部分)は加工して使っています。
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