2024年6月8日土曜日

能登地震ボランティア活動報告3

 4日火曜日は七尾市のこども園にいく前に和倉温泉の町の様子を見て来ました。加賀屋を含め全ての旅館が休業中でした。再営業するには建て直しだそうです。

今は能登島にかかる橋も渡れますが、地震後橋が渡れず能登島から出ることはできませんでした。






午前中は七尾市のこども園で年中児40名と遊びました。午後は別のこども園で保育士を対象にしたワークショップと学童保育と年長児合流のワークショップを開催しました。たくさんの笑顔が見ることができて良かったです。園長先生も久しぶりの笑顔でした。










たった3日間の絵本あそびワークショップでしたが、子どもたちは元気いっぱい遊び笑顔でした。ぼくも子どもたちからたくさんの元気をもらいました。先生達も明るく楽しい時間を共有できました。本当に来て良かったと思いました。


元日から変わらない景色を毎日見ていたら、自分達は忘れ去られているかのような寂しい気持ちになってしまいます。明るい未来や希望が持てません。

こちらの新聞やTVニュースでは、毎日震災特集記事や現状の様子を伝えています。でも今県外にはほとんど被災地のニュースが流れないので、被災地の現状を目にすることがありません。最初に渋滞するから来るなと言ってしまったので、その後関心もなくなり忘れ去られています。既にのと里山海道は一方通行ですが使えるので、金沢市内から珠洲市まで2時間半で行けます。それなのに県外ナンバーの車はほとんど見ることはなく、トラックもそれほど多くなくガラガラです。最初は片道45時間はかかるかも知れないと思って早めに出発しましたが、行きも帰りも道は空いていました。

5日から輪島朝市通りで公費での解体工事が始まりました。どれほどの重機と人が集まって作業するのか?珠洲市でも倒壊家屋はたくさんあります。何故ボランティアが少ないのか?何故マスコミはもっと報道しないのか?何故政治家は動かないのか?何もかも遅くて、不思議でなりません。


輪島市で入浴施設の運営をしていた自衛隊は4月2日に撤退しました。その後を引き継いだのがNPO法人Vネットです。下記のサイトにアクセスすると輪島市での活動の様子がわかります。ボランティアも募集しているので、興味ある人はサイトを見てください。

https://vnetgifu.hida-ch.com/e1271588.html 


仮設住宅は増えてきましたが、まだ避難所はあります。

5月20日に輪島市の仮設住宅で70代の女性が亡くなりました。死因はわかりませんが、「状況から見て孤独死と判断せざるを得ない」と市災害対策本部の話です。静かすぎる被災地、1月1日から時間が止まったような変わらない街の様子、今までに行った被災地とはまるで違います。何ができるかわからない人も、自分の目でこの状況を見てほしい。そして自分ができることを探しましょう。道は空いています。車なら金沢から2時間半で珠洲市まで行けます。




金沢で活躍するフォトグラファーの中乃波木さんから雑誌「能登」の最新号をいただきました。中乃波木さんとの出会いは、2019年5月号かがくのとも「なにがみえるかな?」写真絵本の撮影と能登でのコーディネートをしていただいたのがきっかけです。この絵本はのと鉄道さんに全面協力していただき、写真はのと鉄道の車内から撮影した能登の景色です。モデルになってもらった子どもも中さんのお友達の家族で金沢在住です。ぼくが前回金沢に来たのがこの絵本の撮影があった2017年なので、今回が7年ぶりの再会になりました。




雑誌「能登」の最新号は能登地震の特集です。少しでも能登地震の情報を得たいと思っている人はこの雑誌を読むと良いです。この雑誌にぼくがどうしても紹介したい記事があるので、一部を抜粋します。


地産地消文化情報誌 能登 May2024春 Vol.55 定価880円



能登で生きるという事 番外編 武藤一樹「神音」&「武藤焙煎工房」主人


何を試されているのか


震災はきっかけに過ぎない。

 誰もが気づいていた。知っていた。しかし目をつむり続けてきた『能登の再生(自律自走のコミュニティ形成、世代の代謝)、経済活動の誕生の不達成』を浮き彫りにし、国や政治が「お待ちください」「ボランティアがたりません」いや「現場の福祉行政は機能しているんです」と言いながら、その実は「ほらね、やっぱり無理でしょう?仕方ないよね、許してね」と同情を誘っているのでは?と疑いたくなるのんびりした対応で、「万博は開催します」と重機や人やお金をまわすそぶりすら無く。・・・・・




今回ぼくが能登地震の被災地でボランティア活動ができたのは、金沢の北新越こどものとも社代表の高山さんのおかげです。事前に段取りをして、3日間朝早くから無駄なく車で回っていただきました。一人ではなかなか効率よく動けません。今回出会えたたくさんの子どもたちや保育者、そして皆さんとの縁を大切にしたいです。

ありがとうございました。



能登地震ボランティア活動報告2

 6月3日月曜日午前6時31分ごろ能登地方を震源とする震度5強の地震がありました。まだ金沢のホテルを出発する前で、携帯緊急地震速報が鳴り緊張しましたが金沢は震度3で大事には至りませんでした。1日に訪ねた珠洲市や輪島市は震度5強だったので心配になりました。大人も子ども元日におきた地震をまた思い出し怖かっただろうなと思いました。手付かずの倒壊した建物がたくさんあるので2次被害が起きているだろうと想像しました。輪島朝一周辺の道路は誰でも車で入ることができたので、焼け残った建物が倒壊する危険がありました。これから向かう七尾市までの道路のと里山海道も通行止めになっていないか予定通りに行けるか心配になりました。

金沢のホテルを7時に出発して七尾市に向かいました。のと里山海道も被害はなく1時間ほどで七尾市に到着しました。それにしても道は空いていて県外ナンバーの車はほとんど見ません。トラックも少なく自分達だけが被災地に向かっているのが不思議でなりませんでした。






七尾市に入ると珠洲市や輪島市ほどではありませんが、所々倒壊している建物はありました。やはりこちらも手付かずのままです。七尾市でも水道が断水していましたが、4月4日に復旧しました。道の駅七尾フィッシャーマンズワーフ能登食祭市場は立ち入り禁止で休業していましたが、休日になると建物の前でテントの仮設販売所がオープンしているようでした。隣の七尾マリンパークの駐車場は使えて、トイレも使用可能だったので一休みしてからこども園に向かいました。









七尾市のこども園でワークショップを開催しました。朝の地震でお休みした子どももいましたが、3つのこども園の年長児60人が集まり合同で遊ぶことができました。1月の地震を思い出して不安でしたが、たくさんの笑顔を見ることができました。午後は保育士対象のワークショップと学童保育の子どもたち1~2年生と工作をして遊びました。

2024年6月7日金曜日

能登地震ボランティア活動報告1

5月31日から金沢に来ています。6月1日朝5時にホテルを出発して珠洲市と輪島市に行って来ました。金沢に戻ったのが午後6時過ぎで350キロほど走りました。のと里山海道は1車線しか使えず穴水方向まで一方通行でした。まだ崩壊現場は復旧中です。地震後はこの高速道路が全く使えず海岸線の国道しかなく大渋滞していました。


珠洲市に入ると倒壊した建物が目に入りました。TVニュースでも見た崩壊した見附島に立ち寄ってから、珠洲市民図書館子どもセンターすずキッズランドに向かいました。倒壊した家屋は見附島付近の住宅です。道路の真ん中に突き出ている柱のようなものはマンホールです。




地震後すずキッズランドは建物被害が少なかったので避難所として使われていました。現在水道は復旧しましたが下水道が使えないのでトイレは使えません。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は仮設住宅から通っています。避難者も他所に移ったので本来の子どもが遊べる施設として使われています。

ここで小学生と工作をして遊びました。







すずキッズランドの前には病院があり入院患者もいるそうです。反対側には道の駅があり営業しています。トイレも使えるので、トラックドライバーが洗面所としても使っていました。道の駅には能登鉄道が輪島や珠洲市まで走っていた時の駅舎がそのまま残っています。田植えも始まっていました。農家の家も倒壊しているので、仮設住宅から通っていると思われます。





珠洲市の蛸島漁港まで様子を見て来ました。蛸島漁港では漁が再開されていますが、家屋は倒壊しているので避難所で生活しています。NHKニュースで蛸島漁港で水揚げされた魚を運ぶ会社の社長が出ていました。社長は蛸島に残り仕事を続けていますが、家族は金沢市に避難し小学生の長男だけは友達のいる学校から離れたくないので蛸島の祖父母の家から小学校に通っているそうです。










輪島市の朝市通りの現状です。ここだけではなく、どこも道路にはみ出た倒壊家屋を端に避けただけで地震後から変わっていません。

どこも静かです。メイン道路の補修工事はしていましたが、倒壊家屋は手付かずで重機での作業も人の手も入っていません。トラックも県外ナンバーのボランティア活動の車も少なすぎます。5ヶ月経ってもこの状況というのが信じられません。阪神淡路の震災、東日本大地震の時でも復興活動が見えて行くたびに街の様子が変わっていました。ここは異常です。人手も足りないので仮設住宅の建設を最優先にしているからかも知れません?




輪島市ふれあい健康センターの2階にある子育て支援センターで、30分だけでしたが子どもたちと遊ぶ事ができました。ここも避難所になっていましたが、1日から支援センターとして子どもたちが遊べる場所に戻りました。職員もここで寝泊まりしていましたが、今は自宅または避難所から通えるようになったそうです。3階はまだ避難所になっていて、被災者が生活しています。まだ仮設住宅が足りていません。


1日は金沢百万石まつりの行列で金沢市は41万人が盛り上がっていたようです。北國新聞の一面には祭りの記事と一緒に輪島朝市通りの写真が掲載されていました。経済活動も大切なのはわかりますが、県外の人が祭りのニュースを見たら益々能登地震の被災者のことは忘れてしまうだろうなと思いました。


*掲載している写真(顔の部分)は加工して使っています。