2012年10月1日月曜日

7月25日(水)東松島市図書館


東松島市図書館では、あやとり遊び、絵本うた、遊び歌、ころころ人形の工作、ミニ絵本作りなどを行ないました。





7月25日(水)東松島曲浜


 東松島市図書館に伺う前に、津波に襲われた沿岸地域を訪ねた。
昨年6月の様子とは違い瓦礫の山は片付けられて、まるで何事もなかったかのような風景だった。

下の写真2枚は、昨年6月の東松島市沿岸地域の様子。
瓦礫の中を車が1台通れる道が確保されていた。



 1年後瓦礫の山は片付けられて、かつての住宅地は更地となり雑草が生えていた。
家の一階を波が通り抜けて崩壊を免れ、かろうじて家の形を保っている建物だけが取り壊されずにぽつんぽつんと建っていた。
初めてここを訪れた人は、ここに町が存在していたことを想像する事ができないのではないか。




 残された建物の中に保育園があった。
近づいて部屋の中を見ると、津波で流れ込んだ泥の中にオルガンや用具が埋まっていた。
3.11から時間が止まったまま、ついさっきまでここにいたかのように保育園の子ども達の笑い声が思い浮かぶ。
この保育園の子ども達や先生は無事だったのだろうか?




奥松島宮戸島


 昨年同様今回も宿泊先を探すのに苦労した。ほとんどのビジネスホテルは工事関係者で満室状態が続いていた。昨年はボランティアのために安い料金で宿泊できた観光ホテルも一般営業を再開していた。観光客も戻り始めていて、予約が取れない状況だった。そこで、東松島では東松島市図書館のKさんに宿の手配をお願いした。Kさんが紹介してくれた宿は宮戸島の民宿だった。
 
 塩竈でのワークショップが終わり、今夜の宿泊先奥松島宮戸島に向かった。
風光明媚な松島は大小の島々が防波堤となり津波の被害が少なかった。
しかし、その防波堤となった島々では大きな被害が出た。
仙台湾の外海に面する宮戸島の大浜や月浜一帯は壊滅状態だった。
 島に向かう道路はまだ工事中でトラックが行き交っていた。
まるで殺風景な埋め立て地を走っているようで、この先にめざす民宿が本当にあるのか心配になってきた。カーナビを頼りに目的地に着くと、そこは民宿の看板だけで、プレハブの家が建ち並んでいた。島の端に仮設住宅があるとは意外だった。でも民宿は見当たらない。この先にあるのか、車を走らせるが同じ場所に戻ってしまう。3回同じ道を走りやっと民宿を見つける事ができた。山が防波堤となり仮設住宅からは海は見えない。山の切り通しを抜けると海岸に出ることができる。海岸には港がありその先には仙台湾の外海が広がっていた。その海岸に民宿が建っていた。

 インターネットで東松島市観光協会奥松島のページを見ると、たくさんの民宿が紹介されているが、ほとんどの民宿は津波で流され壊滅している。海岸を歩いてみると建物の土台だけが残り、雑草が生い茂る更地であった。高台に数件の家が見えたが、人が住んでいる気配はほとんどなかった。この地域の住民は海岸の裏側にある仮設住宅で生活していた。




 10mの津波が集落を襲い建物を破壊した。民宿山根は奇跡的に助かった。海岸に面する食堂の床が落ちて波が通り抜けたため柱だけが残った。その後1階部分を修繕して営業を続けている。
 民宿山根の夕食は、刺身・魚の煮付け・焼き魚に焼きウニとあまりの豪華さにびっくりしていたら、ウニが半分でごめんなさいと言われ、またびっくり!地震前ならウニは一人一つだしていたのだけれど、地震で海底が下がり地形が変わりウニが前ほど採れなくなったという。地震の前は遠浅で海岸ももっと広かったらしい。